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BBC版『ABC殺人事件』(2018)原作との相違点

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 サラ・フェルプス脚本、アガサ・クリスティ原作ドラマ化第4弾は『ABC殺人事件』。
 このドラマと原作の相違点について、「ラジオ・タイムズ」のウェブ記事があったのですが、日本語でまとめてあるものを見つけることができなかったので、この記事を参考にさせていただきつつ、自分のメモ代わりに記事にまとめました。

 ネタバレしかありませんので、OKの方のみお入りください。

 長いですよ……。

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「何と愚かしい見出しだ。"残酷な新時代"とは。
 ありきたりなノスタルジーや、過去を美化するだけの世の中は
 昔から残酷だ」

 1話目を見終わったときは「なぜいまこれをこれでこうしたんだ」というモヤモヤした感想しか出てこなかったのですが、3話目のこのポワロのセリフにすべてが凝縮されていると思います。
 このセリフは、クリスティーの長年のファンからいかにも出てきそうな懐古主義的な感想と、ブレグジットに揺れるイギリスでもおそらくそうなのであろう、保守層がいかにも言いそうな「昔はよかった」というありもしなかった"美しい過去の我が国"への懐古主義、これらを二つながらに跳ね返す盾となっていました。




1. Franklin Clarke and his Poirot obsession
2. Inspector Crome v. Hercule Poirot
3. What does Thora Grey know?
4. The racism – and Poirot's past
5. Ernie Edwards in Embsay
6. Fingerprints on the typewriter
7. Franklin tries to shoot himself
8. Cust's affair with Lily Marbury
9. Donald Fraser and Megan Barnard
10. Cust's alibi
11. Cust's seizures and brain growth

 ウェブ版のラジオ・タイムズの記事の項目は上記のとおりですが、まずそれ以外のところから。
(画像もラジオ・タイムズより。問題ありましたら取り下げます)

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(1)ジャップ警部が死ぬ
 何をおいても最初に言わせて。
 「よくもジャップ警部をさっさと殺しおったなBBC」…!!
 TVの前で絶句しましたわ。いや黙って見てましたけれど絶句しました。
 3話まで見終わってからなんとかこの解釈違いとは和解しましたが。
 黄金期の名探偵が出てくるシリーズもののドラマ化などで、これまでシリーズ・キャラクターというのはある意味、聖域でした。容疑者から最初から除外されているということです。
 ですので、クリスティの原作でノン・シリーズものをドラマ化する際に、ミス・マープルを出してしまったりする改変には、ミステリファンとしては興ざめでした。ノン・シリーズものの「誰が犯人かまったくわからない」という五里霧中の緊張感が、"シリーズものの名探偵"が出てくることによって台無しになるからです。
 瞬殺されたジャップ警部ですが、原作よりも何倍も人の良い感じにされていましたね。殺すけど死に花は持たせてやるという武士の情けでしょうか。いらんわそんな情けという気もしますが。

(2)ヘイスティングスも出ない
 ポワロもののシリーズ・キャラクターというと、相棒のアーサー・ヘイスティングス大尉です。が、今回はヘイスティングスは登場しません。
 原作ではほかのポワロものの定番どおり、ヘイスティングスが語り手となって物語が進行します。ヘイスティングスはこの世界の善意と良心の象徴ですので、ヘイスティングスが出てこないということは善意も良心も期待できない、ハードな世界が展開するということなんだろうなと思っていましたが、そのとおりでした。

(3)ミス・レモンも出ないし執事のジョージも出ない
 出ません。
 ミセス・オリヴァーやレイス大佐など、ヘイスティングスやジャップ警部不在時に組まされる感のあるキャラクターも登場しません。この徹底ぶりはよかったと思います。


 以下、ラジオ・タイムズの記事に沿います。


1. Franklin Clarke and his Poirot obsession:フランクリン・クラークと彼のポワロへの執着

 フランクリン・クラークの吹き替えの声優さんが宮内敦士さんの時点でネタバレですね。犯人はフランクリンです。ここは原作どおりなのですが、フランクリンのポワロに対する執着の仕方はドラマの改変です。ポワロに当てた手紙の文面も違います。ドラマの方はストーキング気質丸出しのねっとりとした、それでいて詩的な文章になっています。もっと言うと恋文のようです。
 アルファベット順に殺人が起きる町も、すべてポワロが何らかの形で関わった場所ということに改変されていました。
 原作も、犯人であるフランクリン・クラークのポワロへの手紙で幕が開きます。ですが、ドラマのように、ポワロがいたから事件が起きたというような強い因果関係・動機は、原作では描かれていません。ドラマではポワロがクラーク家に招かれたときにパーティのイベントとしてアレンジした「誕生日殺人」に触発されたと言っています。これはドラマ化に当たっての改変です。
 殺人事件をゲームのように「エンタメ」として楽しんでしまうのは狂気ではないのか?という、ジャンルものとしての「ミステリー」への痛烈な皮肉とも取れます。
 「名探偵」がいるから「殺人犯」が生まれるという倒錯は、これはいわゆる「後期クイーン問題」だなと思いました。(*マニアックな話になりますので、これについては記事を改めます)
 また、フランクリンのポワロへのまとわりつき方は、BBC版『SHERLOC/シャーロック』のモリアーティのシャーロックへのそれを思い出しました。
 原作では、手紙がポワロ宛てに出されたのは、スコットランド・ヤード(ロンドン警視庁)宛てに出した場合、住所を書き間違えても誤配しようがないからだ、という説明がされています。ですがこれもなかなかに無理があるのですよね。メタ的に見ると、それはやはりポワロが事件に巻き込まれなければ物語が始まらないからです。
 また、原作ではよくポワロが、自分はもう世の中に必要とされていない、と嘆いて見せるときに、うまいぐあいに事件が起きます。原作シリーズでは偶然起きたかのようですが、現実的に考えてそのほうが不自然じゃない? というツッコミの結果が、この改変でもあるのだろうと思います。

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2. Inspector Crome v. Hercule Poirot:クローム警部対エルキュール・ポワロ

 原作にもクローム警部は登場します。若手で、性格も横柄なところは原作どおりなのですが、ジャップ警部の後釜に座ったとかポワロを(警察を代表して)恨んでねちねち嫌みを言うといったことはしません。
 1と関連しますが、常識的に、あるいは現実的に考えて、何の権限もないど素人の民間人が警察の捜査に介入するだけでもありえないのに、「名探偵」が尊敬されて警察からも下へも置かぬ丁重な扱いを受けるというのが、そもそもおかしいのです。
 これも「名探偵」が登場するジャンルものとしての「ミステリー」への痛烈な皮肉になっています。サラ・フェルプスさん、いけずやなと思いました。いけずだけどたいへん率直な方だと思いました。「王様は裸だ」と言ってしまったのです。
 「ポワロものでやらずにオリジナルでやればいいのに」といった感想を見かけましたが、誰もが知っている「王様」に対してでなければ「おまえは裸だ」と言っても強いインパクトは残らないでしょうから、やはりポワロでなければならなかったのでしょう。
 また、クリスティがポワロを嫌っていたというのはファンの間でも有名な話です。もしかしたら、このけんもほろろの扱いを受けるポワロに、クリスティなら意外と真っ先に賛同してくれてファンを驚かせたかもしれません。シャーロック・ホームズをネタにファンが好き勝手に二次創作してしまう様を見て、自分の死後、ポワロがそうならないように『カーテン』で始末をつけたという話もありますので、実際のところはわかりませんけれども。
  
 それにしても警察のポワロへの当たりの強さは、いくら何でも失礼すぎるし大人げないなと思いましたが、おかげで、これでノン・シリーズものと同じ緊張感が作品にみなぎりました。誰が犯人でもおかしくないという幕開けになったのです。
 ドラマでは、亡くなったジャップが「クロームはいいやつだ」と言ってくれたことが、ポワロとの距離を縮めてくれました。ジャップの人の良さがポワロをある意味守ってくれたんですね。このくらいの甘さの方が現実的だと思います。ジャップがいいやつだと言っていたように、クロームは彼の部下ほど、意地悪のための意地悪をするような小っさい人間ではなかったようです。

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3. What does Thora Grey know?:ソーラ・グレイは何を知っていたか

 ドラマでは、原作のソーラの言動を拡大解釈した(例によっていけず気味ですが)ようなキャラになっていました。ソーラはフランクリンが兄カーマイケル・クラークを殺害した犯人であることを知りますが(フランクリンが自ら教えますが)、黙っています。フランクリンが恐ろしかったのかもしれませんが、カーマイケルを誘惑して後妻に収まることに失敗したため、弟のフランクリンと組んでカーマイケルの遺産と爵位を受け取る方がお利口だという打算があったのでしょう。
 クリスティはここまで直截には言っていないですが、ポワロがその辺りのソーラの本音(正体)をまんまと証言により引き出していて、結局そういうことですよねーという納得はあり、原作よりわかりやすくなっていました。原作では、ポワロの推理…あるいは想像でしかありませんが、カーマイケルもソーラに気があったということになっていて、それがフランクリンの殺人の動機にもなっていました。
 カーマイケルを誘惑することに失敗する前と後とで、ソーラのメイクやファッションの雰囲気ががらりと変わるところが好きです。最初はいかにも優しげでまじめそうで、結婚したら良妻賢母になりますといった古風な雰囲気だったソーラが、地金が出てからは、濃い目のメイクにシャープなボブカット、毛皮が大好きといった女に変わっています。カーマイケル亡きあとはフランクリンに乗り換える気満々で積極的にアタック(死語)しますが、ここでフランクリンが、これだけ雰囲気が変わったソーラに動じないところもわりと気に入っています。カーマイケルが保守的な男性だったということが、これだけでわかります。
 ソーラはもう一度雰囲気が変わって、駅のホームでポワロにタバコに火を貸してくれと言うシーンでは、メイクやファッションはそのままですが、ぴりぴり、がつがつしたところのない、自然体で柔らかい雰囲気になっています。おそらくこれがソーラの本体なのでしょうね。ポワロはそんなソーラに(原作のように)お説教じみたことを言うでなく、火を貸し、世間話に応じます。このシーンは原作にはなく、男の財産と地位に依存することを目標にしなくなった女性の独立をさりげなく描いていて、好きなシーンです。(一人で人生のブレイクスルーを2回演じた、この俳優さんもすばらしいですが)

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4. The racism – and Poirot's past:レイシズム、そしてポワロの過去

 このドラマを「今」BBCがドラマ化した意義あるいは意図、それはここにあるのだろうなという作品でした。
 ドラマの時代設定は、わざわざ1933年であることが明記されています。原作の『ABC殺人事件』は1936年に発表されたので、ドラマは原作の3年前。ITV版の『名探偵ポワロ』シリーズは1934年~1935年という設定になっていました。
 この微妙な差は何を意味するのだろうと思いましたが、作中で何度もバッジやポスターが登場する「イギリスファシスト連合」が1932年に設立されたそうです。この政党は苛烈なユダヤ人・外国人労働者排斥などのアジテートを行い、暴力行為もエスカレートしていったようですが、ナチスと提携したことから国内でも警戒され1935年末にはすでに下火になっていたそうです。(Wikipedia)
 今回のドラマは、イギリス国内の世相が日本で言う国粋主義的になり、外国人排斥に強い勢いを持っていた年だったということなんですね。風雲急を告げる時代背景があり、1年の違いは大きかったのだろうと思います。
 原作でも、ITV版でも、ポワロは外国人差別を露骨に受けています。現在で言うところのヘイトスピーチに当たるようなこともしっかり書かれています。原作とITV版はそこをユーモアに包んでしまっていて、そのおかげで作品を軽く楽しめるようになっているのですが、ヘイトスピーチはユーモアにしていいようなものではありません。よく「初級レベルのフランス語」とファンにも揶揄されるポワロのフランス語ですが、BBCのドラマ中では「いかにも外国人ですという振る舞いをすることで、油断されるし、イギリス人からの差別や当たりがやわらかくなるんです」というようなことをポワロが言っています。(日本のテレビ番組などでも長年「ユーモラスな振る舞いをする外国人」がいかに「人気」を集めてきたかを思うと、イギリスでもそういったことがあったのでしょう)
 となると、2018年のBBCのドラマは、こうでなければならなかったでしょう。この辺りは非常にまじめに、真摯に向き合われた作品だと思いました。

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 また、大改変されたのがポワロの過去です。
 原作ではポワロはベルギー警察を定年退職し、引退後にイギリスに戦争難民として移住してきて私立探偵業を始めたということになっています。ベルギー警察時代の「チョコレートの箱」という作品もあるので、経歴を詐称しているわけではないです。
 今回のドラマでは、カトリックの司祭に改変されています。
 原作(邦訳ですが)を読み直すまで気づかなかったのですが、原作でもポワロは「mes enfants」「mon enfant」といった「わが子(たち)よ」いう意味のフランス語の呼びかけを何度も使っています。これは親が子に親しみなどを込めて使う以外に、カトリックの神父が信徒に向かって呼びかけるのにも使うところから、今回の改変のヒントを得たのかと想像しました。
 また、黄金時代の名探偵の役割や振る舞いが、どうしても罪と許しの問題になったり、他人には秘匿しているプライバシーとその告白になることから「探偵などやめて司祭になればどうですか」と犯人などに揶揄されるシーンが出てきます。ここからもあったのでしょう。
 原作での設定は、クリスティ自身も「やっちまった」と白状されていますが、定年退職後という設定だと、『カーテン』でポワロが死ぬのは100歳を越えているなど、いろいろと年齢的に無理があるのもファンの間では有名な逸話です。ただこれも「名探偵は年を取らない」という暗黙の了解があり、それは言わないことになっていたのですが(言う人もいますが)、一介の警察官だったわりには上流階級に顔がききすぎるとか、暴力に対処する能力が低すぎるとか、ポワロ自身の挙動が上品に過ぎるとか、やはり時代背景と職業からイメージすると、不自然な点が年齢以外にもけっこうあります。
 神父(司祭)に改変したことで一番すんなりと説得力を持ったのは、ポワロが生涯独身だったことです。これも黄金期の名探偵にはよくある(?)ことなので、突っ込まないお約束だったのですが、エラリイ・クイーンもレイモンド・チャンドラーに「彼の性生活はどうなっているんですか?」と皮肉られたという話があります。(現代の感覚で言うと大きなお世話な上にセクシャル・ハラスメントでしかないですけども)
 なので、ドラマ上の必要条件だったかは疑問が残るものの、過去、カトリックの神父だったという改変自体は、そんなに突拍子もないものではないと思います。

 また、「名探偵」のうさんくささに踏み込んだ好例になったとも思います。上述したように、公的には何の権限もない人物で、ポワロのように戦時のどさくさに過去を清算して(そして詐称して)紛れ込まれてもわからないじゃないですか? という設定にしたことで、シリーズもののレギュラーキャラクターは聖域であるというパターンが使えなくなり、ドラマに緊迫感が生まれました。「いちばん怪しいのは「名探偵」なのでは?」と。
 そんな「名探偵」の解決が、はたして一切の誤謬のない、唯一の合理的解決なのか? という問いも「後期クイーン問題」だなと思いました。

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5. Ernie Edwards in Embsay:エンブジーのアーニー・エドワーズ

 原作にはなかった、第5の殺人です。原作ではD(ドンカスター)で終わった殺人が、エンブジーという町でE.E.のイニシャルを持つ人物が殺されます。1.で見てきたように、フランクリンの殺人の動機はポワロの気を引くためなので(言い方)、原作のように、「死体を隠すなら連続殺人の中」というような理性的(?)なものではすでになくなっていたのでした。
 ただ、結局フランクリンの狂気という、第三者的には明確に説明できないものを動機の根源にもってきてしまったため、ポワロの推理も特になく、ミステリードラマとしては焦点がぼけてしまっていて、カタルシスのないものになってしまっていました。

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6. Fingerprints on the typewriter:タイプライターの指紋

 カストのタイプライターについていたフランクリンの指紋、これは原作ではポワロのでっちあげで、ヘイスティングスを喜ばせようと思ってついた嘘でした。とんでもねえな。しかし黄金期の探偵小説というのはそういうものでした。しかしやはり「とんでもねえから使えない。今、2018年だし。」となったのでしょう、ドラマでは実際に、フランクリンの使ったブランデーグラスから特定したことになっていました。
 原作では(いちおう)これが決定的な物証となるのですが、黄金期ミステリーあるある「名探偵の嘘・でっちあげ・脅迫・露骨な誘導尋問」などは使わ(え)ないという判断があったのだろうと思います。

7. Franklin tries to shoot himself:フランクリンの銃による自殺未遂

 これも黄金期ミステリーあるあるですが、犯人が自殺して終わる、あるいはそれを名探偵が見逃す、それを名探偵が勧める/強制する、甚だしきは名探偵が直接犯人を殺すなどという手法が用いられることがあります。証拠不十分で裁判で検察が勝てそうもない場合は特に濫用されていた節があります。とんでもねえです。
 原作では拳銃自殺を試みたフランクリンを、ポワロがスリを雇って弾を抜かせて防ぐということになっています。しかしこれも、いくらなんでもおちゃらけが過ぎると思われたのでしょう。これをやっていいのは、アガサ・クリスティだけです。(断言)アガサ・クリスティだけですよ。(2回)
 ドラマでは犯人は法の裁きを受け、正式に処刑(この頃のイギリスにはまだ死刑がありました)されました。
 ドラマでは、フランクリンがポワロに、自分が犯罪を起こしたのはポワロのせいで、ポワロを元気づけようと思ってやったことだ、最近おかげで顔色もいいし、自分がいなくなったらきっと寂しくなるよ、「エルキュール」と言って、ヘイスティングスさえ呼ばなかったポワロのファーストネームで呼びます。
 ITV版でポワロを「エルキュール」と呼んだのは、ベルギー時代の親友と、ポワロがほんのり恋したロサコフ伯爵夫人だけでした。ロサコフ夫人がポワロを「エルキュール」と呼ぶシーンは色っぽくてどきどきしたものでしたが、サラ・フェルプスさんもきっとどきどきしたクチじゃないでしょうかね。(決めつけ)

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8. Cust's affair with Lily Marbury:カストとリリー・マーベリーの情事

 ドラマのカストのあれは、はたして「情事」と言うようなものなのでしょうかね…。性的なフェティシズムによる行為ではあるのでしょうが、もうあまりにも痛そうで(しかも不衛生そうで)、背中を踏まれるシーンは薄目で見ていました。
 原作のリリーには恋人がいますが、ドラマのリリーには特にステディな関係の人はいないようです。ドラマを見ていると、術後のカストに付き添っていたので、このあとリリーとカストはつきあい始めたのでしょうか。
 今回のドラマでちょっとびっくりしたのが、クリスティがよく使う、"これまで不幸だった男女が結ばれて終わる"というハッピーエンドの手法を、サラ・フェルプスさんが使ったことです。サラ・フェルプスさんのドラマは『そして誰もいなくなった』から始まって、すべて陰鬱で、登場人物が病んでいるのではないかと思うくらい陰湿だったりします。人間が嫌いなんじゃないかなと思うところもあったのですが、クローム警部とポワロの和解のシーンや、このリリーとカストの関係を見ていると、人間観察の過ぎたる技ではないかと思えてきました。
 母親に売春をさせられていたリリーが、娘に依存していた母親を捨て(共依存関係を絶ち)、自立して、カストと生きることにしたのだろうと思います。このドラマの女性キャラクターの改変は良いなと思うところがけっこうあります。

 また、原作では、ポワロに「女の子を誘惑してベルトで首を絞めるなんて無理」と言われているカストですが、カストの俳優さんが若手でうさんくさいので、Bの殺人にも説得力があるところも、いい改変だと思いました。

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9. Donald Fraser and Megan Barnard:ドナルド・フレイザーとメーガン・バーナード

 ドナルド・フレイザーは、原作では、単に堅物で嫉妬深いだけ(だけ?)でした。ドラマでは箸にも棒にもかからん俗物で口を開けばモラル・ハラスメントとセクシャル・ハラスメントしか出てこないクズになっていましたが、メーガン・バーナードもずいぶん違うキャラクターになっていました。
 原作では、ドナルドは最初からメーガンの妹のベティ(エリザベス)と婚約していますし、メーガンは街で働いている自立したワーキング・ウーマンです。ドナルドや母親や、妹のベティの一言一言に振り回されるような、自信なさげなおどおどした女性ではありません。
 ドラマではベティが姉からドナルドを横取りして「お皿と話してるみたいにつまんない男」と捨てたあげく、メーガンには「わたしに感謝してほしいくらい。いつかわかる日が来る」と言い捨てますが、結果的にそのとおりになりました。ベティに乗り換えたことを悪びれるどころか、おしゃれをする努力をしないおまえが悪いと、メーガンのせいにするような男です。ここまでクズに描かんでもにおい立つクズさはわかると思うのですが、おかげでメーガンのその後の行動に説得力が出ました。母親はドナルドを(なぜか)気に入っており(おそらくお金持ちのようで、そのためらしいです)、姉娘を捨てて妹に乗り換えた男をまた姉娘と結婚させようとします。メーガンの気持ちなどおかまいなしです。メーガンはこんな家を出て、自立することを選んだようでした。メーガンもやっと目が覚めた…と言うか、目は覚めていたけれど行動できなかった自分の人生を、自分の足で立つことにしたようです。応援したくなります。

10. Cust's alibi:カストのアリバイ

 カストのアリバイを証明する人物は、原作では突然出てきますが、ドラマでは宿の娘リリーが証明します。

11. Cust's seizures and brain growth:カストの発作と脳の腫瘍

 吹き替えではそこまではっきり言っていなかったと思うのですが、ラジオ・タイムズの記事を読むと、カストは脳に腫瘍があって、そのせいでてんかん発作が起きたり記憶が抜け落ちたりぼんやりしたりといった症状が出ていたようです。(私事になりますが、小学生のときに体育の授業中に隣に座っていた同級生がてんかん発作を起こしたことがあり、びっくりしたのと、傍目にもとてもつらそうだったのを覚えています)
 原作では、カストは戦争に行き、そのときの銃弾による負傷が頭にあり、その後遺症で記憶がぼんやりすることがあるという設定でした。ITV版のドラマを見ていると、今で言うPTSDなどもあったのではないかと思いました。
 1933年のことなので、脳の腫瘍を取り除く手術は今以上に難しかっただろうと思いますが、どうやら成功したようです。発作は脳の腫瘍のせいだったようなので、これで良性の腫瘍が取り除けたら、カストも新しい人生を(リリーと)歩いていけるのでしょう。
 原作では、有名人になったカストに新聞社からの自伝執筆の申し出があり、お金をもらえることになるというハッピーエンドでしたが、サラ・フェルプスさんは、例え500ポンドもらっても、カストの孤独は救えないと考えたのでしょう。サン=テグジュペリも「真の贅沢というものは、ただ一つしかない、それは人間関係という贅沢だ」と言っています。このドラマのカストのハッピーエンドとは、8.でも見たように、これまで孤独でつらい人生を送ってきた二人が出会い、これからは新しい、きっと幸せな人生を歩んでいくことでした。お金には換えがたいものをカストが得るこの改変は、わたしは好きです。
 それに、間もなく第二次世界大戦が始まってポンドの世界的信用度は暴落しますし、お金より信頼できる人との関係がある方がいいに決まっています。リアルタイムでこの小説を書いていたクリスティには知るよしもなかったことでしょうが、今それをハッピーエンドで終わらせるのはかえって誠実さを欠くと考えたのかもしれません。

*おまけ:ABC(フランクリン・クラーク)のポワロへの手紙

 ドラマのフランクリンの手紙は、これはストーカーのラブレターですねと思いました。英語でなんと言っているのかわからないのですが、どう読んでも性的なメタファもあり、原作のあっさりした手紙とぜひ読み比べてみてください。

ドラマ:
A:「孤独か? 心配するな 僕がここで君を見ている 乾杯 A.B.C.」
 「先日君のあとをつけた 老けて、疲れた顔をしていたよ 
 ずいぶん足をかばって歩いてたね けっこう心配になったよ 
 僕は君のすぐ後ろに立っていた 首筋に僕の吐息を感じたか、エルキュール

 人はうぬぼれてると言うだろう 大げさで、偉そうで、孔雀のようなポワロ
 そう陰口をたたいて嘲笑う でも僕は笑わない それはうぬぼれではないからだ
 君は時間を巻き戻そうとしてる 自分が名探偵で 皆にちやほやされ 必要とされ
 愛されていたころに
 僕は愛されたことはないが 恐れられはするだろう
 僕は顔のない獣となり 子羊を殺戮へと導く
 君と僕のために何とかするつもりだ だから今段取りをつけているところだ
 できたら知らせる それまで 乾杯 A.B.C.」

「おはよう エルキュール 元気だろうね 
 ワクワクしているよ 興奮して落ち着かない 
 段取りはついた 
 準備完了 
 君の準備もできているかな 
 君も僕と同じくらい興奮してくれていることを願うよ 
 3月31日 アンドーバー 乾杯 A.B.C.
 さあ始めよう」

「やあ、エルキュール ミセス・アッシャーをどう思った? 
 ものすごいありさまだっただろう 
 次は何か 君ならわかるだろ 
 Bだ 
 でもどのBかな そしていつ 乾杯 A.B.C.」

「4月4日 つまり今日だ 急げよ BはベクスヒルのBだ 乾杯 A.B.C.」

「やあエルキュール ベティは可愛い子だったな 
 あのときベティは 死が腕を広げて待っているのを悟り 僕に降伏した 
 僕は鏡を見、ベティの最期の息を吸い込んで味わった 
 実に甘かったよ 体中の血がその甘さに震えた 
 でもエルキュール 僕は疲れた 少し休んでからまた続きを始めよう 乾杯」

「4月10日 Cはチャーストン」
「モン・シェール・エルキュール そろそろ楽しくなってきたかな 次は何だ」

by n_umigame | 2019-09-01 23:44 | ミステリ