ユッカ・パルッキネン編/渡部翠訳(講談社)
重い本を読んだのでお口直しに自分の好きな心洗われる本を何か読むべーと引っぱり出してきましたのが、この本です。(エーリヒ・フロムの『愛するということ』とどっちにしようかと迷い、こちらに。)
心洗われるかどうかは不明ですが、ムーミン、いいですよね。
「ほかのものの名前を忘れると、ちょっとやるせなくなります。しかし、自分の名前を忘れるのは、気楽でいいもんです。」
……。そうかも。
(きっと嵐って、朝日が、そのあとにのぼってくるためだけに、あるんじゃないかなあ)
ムーミンパパのモノローグです。わたくしも、そう思って生きたいと思いますが、なかなか(笑)。
「たまには、怒んなきゃあね。どんなちっちゃな生きものにだって、怒る権利はあるんだから。だけど、ムーミンパパの怒り方って、よくないわね。ちっともはきださないで、みんな、ためこんじゃうんだもの」
ちびのミイ。ミイはちびで辛辣だけれど、マイペースでムーミン谷の哲学者です。
「みんなも知ってるでしょう? 毎日毎日、おびえてばかりいると、だれだって、すきとおって消えてしまいそうになるわよね?」
トゥーティッキ。(子どもの頃見たアニメでは「おしゃまさん」と呼ばれていたように思います。)
ニンニという、おばさんにいじめられて姿が見えなくなってしまった女の子が出てくるのですが、そのお話の中のセリフだったかと思います。
「そんなに悲劇的にならなくたって、イヌでもネコでもいいじゃない。大切なのは、だれかを好きになることですよ…」
ムーミンママ。ミイの次に好きなキャラクターです。
ムーミンパパとの出会いのシーンが衝撃的でした(笑)。いいのかそれで(笑)。
(いいひとだけど、ほかのひとのことを、てんで気にもとめていないような友だちは、ぼくは、いらない。自分で自分がいやにならないようにするためにいいひとでいるような友だちも、いらない。こわがりの友だちも、いらない。けっしてこわがらなくて、思いやり深いひとが、いい。ぼくは、ママがほしい!)
ホムサトフト。ちょっとマイナーなキャラでしょうか。
ムーミントロールは思いました。
(うん、こりゃあいいぞ。家族にも、たまには、風をとおさなくっちゃあ)
ムーミントロールのように家族に恵まれた子でも、そう思うんですねえ。
ここも核家族ですからね。
(つまらないわ。ママって、気ままにでかけて外でねむるなんてこと、できないのですもの。ママこそ、たまには、そんなふうにしたいのに…)
ムーミンママ。「気ままにでかけ」るママさんたちは最近でこそ増えたように見うけられますが、まじめにママさんをやっている方には、心から頭が下がります。
肩肘はらないでママをやっているふつうのお母さんって、えらいなあと思います。
ムーミントロールのパパは、家族とベランダが、たまらなく恋しくなってきました。そしてとつぜん、さとったのです。
(あそこにいてこそ、かぎりなく自由で冒険心に満ち満ちていることができるんだ。それでこそ、ほんものの父親なんだ)と。
ムーミンパパ。そんなこと言ってて、放浪癖があるんすよ、この親父は(笑)。
旅だっては後悔して家庭へ帰りたくなり、家庭にいては旅に出たくなり…その気持ちもわかります。
「だれかを崇拝しすぎると、ほんとうの自由は、得られないんだよ」
「その奥さん、親戚は多いし、知りあいもたくさんいたんだ。でもね、いうまでもなく、”知りあいがわんさといたって、友だちはひとりもいない”ってことは、ありうるんだよ」
スナフキン、ふたつでした。
わたしは、ひとりめの友だちを見つけたのでした。つまり、わたしは、ほんとうの意味で、生きることをはじめたのでした。
ふたりは、たがいにさりげなく敬意をはらいあい、そのくせふたりとも、自分の世界をしっかりと保っていました。相手のためになにかをしてあげるなんてことはなく、わかりあおうともしなければ、気にいられようともしませんでした。こういうのも、居心地よくいっしょにすごす、一つの方法ではないでしょうか。
ムーミンパパ。(の若い頃のおはなし)
わたしは、たまらなく幸せでした。この幸せがすぎなければいいのにと、心配する気さえおこらなかったほど幸せでした。
ムーミンパパ。(上に同じ)
ところで、パンケーキとホットケーキとどう違うのか最近まで知らなかったのですが、同じだそうですよ。
なんだかパンケーキの方が薄手のような印象でしたが、ホットケーキを薄く焼いただけってことでしょうか。
ムーミンママの「パンケーキに木イチゴのジャムをつけて食べる人に悪い人なんていませんよ」というセリフも印象に残っています。