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*さいはての西*

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『マクベス』 シェイクスピア著/安西徹雄訳(光文社古典新訳文庫) 光文社

シェイクスピアの作品の中で一番の血みどろかつ残虐な作品は『タイタス・アンドロニカス』と言われていますが(アンソニー・ホプキンス主演で映画にもなりました…)、何と表現しますか、一番「血」のにおいが芬々とし、不吉な影が黒々と深い印象を受けるのは、『マクベス』ではないかという気がいたします。

シェイクスピアの四大悲劇の中で、昔からどういうわけか一番惹かれるのは、この『マクベス』でした。(次が『リア王』、そして四大悲劇の中には含まれないのですが、『リチャード三世』です。)
翻訳だけでも、福田恒存訳、*木下順二訳、小田島雄志訳、松岡和子訳、次いで5本目でこの安西徹雄訳で読んだことになります。また、折に触れて引っぱり出しては読むことも多いです。

10代の頃に惹かれたのはこの作品の、人生に対する投げやりな態度かもしれないなあと思います。(10代の頃のわたくしは、今よりずっとむずかしい本を読んで世の中を斜に眺めているクールな人間でした。……ちょっと? そこの人?なんで笑うの?)

三人の魔女の「きれいは汚い、汚いはきれい」というセリフも有名ですが、わたくしが惹かれたのは、「消えろ消えろ、つかのまの灯火…」を含むマクベスのあのセリフであります。

占いを信じて奥さんに乗せられたあげく自滅していくマクベスの性格もおもしろかったのかもしれませんが(どこが)、こうやって自滅の坂道を猛スピードで転がり落ちながら、この期に及んでも自分で自分を律しなかったツケを「どうせこの世はうたかたの舞台、どんなに大見得を切っても、自分の与えられた役割を演じ終えたらどうせ退場する(死ぬ)だけの哀れな役者なんだよ俺たちは。けっ」で済ませる態度が、「これってさー…」と思うと同時に共感があったのかもしれないなあと。

そして、こうやって、他責的にものごとを済ませようとする人間に待っているのは、マクベスのように破滅とまではいかなくても、幸せではなさそうだ、という反面教師でもありました。
マクベスって「ああー占いを信じた俺がバカでした! ついでに女房の選択も誤りました!」という後悔や反省のセリフがなくて、かといって「バカなことやっちまったけど、これはこれで俺はいいよもう。」という諦観もないですよね。
つまり、自分がしでかしたことに対する自分なりの落とし前…反省でもいいしあきらめでも覚悟でもいいのですが…が語られていないと思います。
それが多様な解釈を許すのでおもしろいのだと思いますが。

この安西訳では「きれいは汚い、汚いはきれい」が別の訳が与えられています。

シェイクスピアのすごさは今更わたくしごときが改めてここで語ることではないですが、こんなに人間を冷徹な目で見ている作品があるかと思えば、それってほんとに喜劇なのかとツッコミたくなる作品もあるかと思えば、最後の最後に、『テンペスト』で、「人間とはなんとすばらしいのだろう!」とヒロインのミランダに言わせているところから、きっと、人生おもしろかったんだろうなあ、こういう最後がいいよね。と思わせて、人生の時々に読みたくなります。

どーしても何かふんぎりを付けなければいけないときは、『ハムレット』のセリフを思い出します。

”来るべきものは、いま来なくても、いずれは来る
いま来ればあとには来ない
あとに来なければ、いま来るだけのこと
肝腎なのは覚悟だ”

まったくです。

『マクベス』のセリフで好きなセリフは、宮沢章夫さんのエッセイを読んでからどうしても笑ってしまうのですが、「ああ、俺の心はサソリでいっぱいだ。」です(笑)。



*追記*訂正:わたくしが読んだ岩波文庫は木下順二訳だったと思っていたら、古い版で野上豊一郎訳でした。おわびして訂正いたします。
木下順二訳は未読(のはず)です。
by n_umigame | 2008-09-22 23:09 |